[Kanon]今さら沢渡真琴という少女について(前編)

今日1月6日はKanonの沢渡真琴の誕生日ということになっている日である。
私自身のハンドル「アカギツネ」はいうまでもなく、彼女に由来していることもあり、本来はSSを書いて祝うべきなのだが、残念ながら、例によって今日中の完成は無理であった。
代わりに今さらではあるが、彼女のことについて前々から考えていたことをまとめたいと思う。
Kanonが発売されたのが1999年の6月4日のことであるから、既に発売以来5年と半年が経過している。
それ故、さんざん議論がしつくされた話題ばかりとなるが、ご容赦願いたい。



沢渡真琴という少女、そして彼女のシナリオには謎が多い。

謎(1) 沢渡真琴は本当にキツネ、妖狐なのか?

 今さら繰り返すまでもないことだが、沢渡真琴シナリオでは、彼女は主人公が少年時代に飼っていたキツネが化けて出た妖狐だということになっている。主人公はそう考えているし、同居している叔母、水瀬秋子もそう信じているようである──従妹の水瀬名雪については不明確ではあるが──。

 しかし、沢渡真琴は本当にキツネなのだろうか?
 たしかに、彼女がそうだとしたら、彼女のことをうまく説明できることは間違いない。
 だが、実のところ、彼女が本当はそのキツネだという確実な証拠は何も示されていないのだ。
 確実ではない証拠ならある。

 一つは、記憶を喪失としていた彼女が自分の名前は「沢渡真琴」だと思い出したことである。「沢渡真琴」は主人公がかつて憧れていた年上の女性の名前であり、それを知っているのは、主人公がかつて飼っていたキツネだけである。キツネは主人公に憧れていたから、「沢渡真琴」でありたかった。「沢渡真琴」という名を知っているのは、件のキツネしかいないのだから、彼女はそのキツネだというわけである。
 しかし、これだけをもって証拠と言われても彼女がキツネだとは納得がいくまい。彼女は「沢渡真琴」の関係者、例えば妹であり、姉の名前を思い出しただけかもしれないのだ。あるいは、単なる同姓同名だと言っても十分通るであろう。

 もう一つの証拠は、シナリオ中盤で突然現れた天野美汐という少女が、沢渡真琴のことをキツネだと言ったことである。シナリオ上、動揺する主人公、そしてプレーヤーにとって、これは決定的な証拠であるように思えたはずである。
 しかし、冷静に考えれば、こちらもあやふやな証拠でしかない。
 何しろ、天野美汐は何も具体的な証拠も示さないのだ。確かに、それ以降の沢渡真琴の状況は、天野美汐の言う通りとなった。だが、それをもって証拠とするのはあまりに弱い。

 しかも、天野美汐の言葉にはあまりに分からない点が多い。
 天野美汐は沢渡真琴を見て妖狐と見抜いたのだが、何故、沢渡真琴が妖狐と気付いたのか? 天野美汐もまたかつて妖狐と出会い、主人公と同じ体験をしたからだということだが、だからと言って、妖狐を見分けることができるのだろうか? 妖狐と遭遇したことで、妖狐を見分ける能力を得たとも考えられるが、シナリオの上では何ら説明はなされていない。
 また、天野美汐は主人公に舞台となる地方における妖狐の伝説について語る。だが、その伝説の妖狐と、沢渡真琴という少女の状況とは似ているようで、明らかに相違点があることに気付く。まず、伝説では妖狐は多く歳を経たキツネである。だが、沢渡真琴がキツネだとすれば、主人公が飼っていた時は子ギツネだったのだから、彼女はせいぜい10歳にも満たないはずである。歳を経た化けキツネとは言えまい。それに、伝説では妖狐が現れた村はことごとく災厄に見舞われたと言われている。その災厄とは事故や病気のような言葉通りの意味ではなく、大切な人を失う辛さのことだと、天野美汐の様子を見て、主人公はひとまずは納得する。しかし、それはせいぜい家族レベルの災厄であり、村が災厄に見舞われたという伝説とは、スケールの点で開きすぎるのではないだろうか?

 証拠は以上の二つだけに過ぎない。よくよく考えてみれば、仮に天野美汐の言葉が全てデタラメだったと仮定したら、沢渡真琴という少女がキツネだという結論は、全て崩壊するのだ。
 たしかに、天野美汐が何のために嘘をついたのかという問題は残るが、それを沢渡真琴の正体に結びつけて、想像を巡らしてみるのも面白かろう。



 思ったより長くなったので、この項の残りは後日、後編としてまとめることとする。



 1月10日、追記。本項「今さら沢渡真琴という少女について」は今回を含めて全四回にまとめた。

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この記事へのコメント

ひいらぎ
2005年01月10日 00:35
kanonは他のヒロイン達のシナリオでは「再生」をテーマにあげたものが多い反面、恐らく真琴の話のみ、彼女はラストでは還って来なかったという締め括りで迎えています。(SSとかでは帰還やアフターが一杯ありますが)
個人的には「再会」ではあったものの「再生」ではないと思います。
ごんぎつねに代表されるような幸せな結末ではなく悲しい結末にあったように、動物と人間の分かち合いの否か諾やの瀬戸際を表現したかのような真琴のお話。そして最後が報われたかも分からない終幕。
誰かさんが「真琴が還って来て大人びた情景が想像出来ない」というのも頷けることです。

あまり考察とは関係ありませんが、アカギツネさんの一言を眺めながら僕なりの意見を添えておきます。
アカギツネ
2005年01月10日 17:03
柊さん、コメントありがとうございます。
真琴帰還問題に関する私の考えについては、今日公開した本文に記述しましたので、繰り返しませんが、私の周りではやはり未帰還とする人が多いようですね。

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