[Kanon]今さら沢渡真琴という少女について(後編)

承前 (前編,中編)

謎(3) 沢渡真琴は戻ってきたのか?

 真琴シナリオ最大の謎。それはシナリオの結末と言って良いだろう。
 このシナリオのエピローグにおいて、妖狐達が集まればどんな奇跡でも起こせる可能性を、天野美汐は主人公に示唆する。そして、主人公に何を望むのかと尋ねる。この時、主人公が何を望むのか、明確には示されていない。だが、天野美汐の質問に対する主人公の答は「そんなことは決まっていた」というモノローグであって、それが沢渡真琴の帰還を示していることは誰も異存が無いだろう。
 問題はこの後である。
 主人公の最後のモノローグ「そんなことは決まっていた」の後、画面にはものみの丘とおぼしき草原の上で、寝そべる沢渡真琴とぴろの姿が映し出される。そして、シナリオはそのまま終わるのだ。
 このラストのCGは何を意味するのだろうか。

 文字通り、沢渡真琴の復活を示したものとも、単に、主人公の最後の願い、沢渡真琴に戻ってきて欲しい、という主人公の願望を示したもの、つまり沢渡真琴は戻ってこなかったともとれる。
 一体、どちらであろうか。
 なお、以下の議論は、普通の解釈である沢渡真琴が妖狐である場合に限定して行う。

 どちらであるかについての明確な回答は無く、沢渡真琴シナリオの作者であるシナリオライターの麻技准氏の公式回答もKanonビジュアルファンブックによれば「ユーザーさんの解釈におまかせ」ということになっている。
 ただ、同じKanonビジュアルファンブックによれば、麻技准氏はどうやら沢渡真琴が帰還するという結末を想定してシナリオを書いたことを匂わせる発言を行っている。
 とはいえ、それはあくまで推測でしかない。「ユーザーさんの解釈におまかせ」とある通り、どちらを取るかはユーザに任されている。逆に言えば、どちらとも取れるように注意してシナリオが組まれていることが分かる。あるいは、Kanonビジュアルファンブックにおける彼女の帰還を匂わせる麻技准氏の発言すら、解釈のミスリードを誘うトラップなのかもしれない。もっとも、そこまで疑いだしたら、きりがないのだが……。

 では、プレーヤーが自由に解釈するとして、沢渡真琴が戻ってきたと考えるのと、戻ってこなかったと考えるのとでは、どうしてそう考えるに至ったのか、何が違うのだろうか。
 シナリオを事細かく分析することで、戻ってきた、あるいは戻ってこなかった、と結論することも可能である。だが、事細かく分析したところで、決定的な証拠は見つかるはずもない。
 最後は、プレーヤーがどちらを良いと思うかが決定要素であろう。
 なお、この場合、「どちらが良いと思うか」というのはプレーヤーの願望を意味しない。プレーヤーの願望に沿うという意味では、「戻ってきた」方が良いに決まっている。沢渡真琴のことはきれいさっぱり忘れて天野美汐とよろしくやっていきたいという願望の方が強い人達を除けばだが。
 ここで言う「どちらが良いと思うか」は、「どちらの結末がより適切な解釈に思えるか」ということである。
 とはいえ、「戻ってきた」説が適切と考える場合、そこには「戻ってきて欲しい」という願望が多分に入っていることは否定できないだろう。だからといって、即、「戻ってきた」説を否定することはできない。プレーヤーの願望に沿った結末がシナリオとして適切な解釈であるという結論を出すことも可能だからだ。

 では、一方、「戻ってこなかった」説を適切と考える場合、それはどういう理由によるのであろうか。これには複数、理由を挙げることができ、いくつか紹介したいと思う。
 一つは、「戻ってこなかった」方がシナリオとして美しいと考える場合である。ひねくれた表現をすれば、仮に「戻ってきた」としたら、自分の流した涙はなんだったんだよ、という考え方とも言える。理解できない方にはなかなか理解できないのだが、「戻ってこなかった」方がシナリオとして美しい、というのは一つの意見であり、私もある程度まで共感できる考え方である。ただ、これについては、主観論であって、「戻ってきた」方がシナリオとして美しい、そう考えることも可能である。その差は感性の差としか言えず、どちらが良いというものではない。
 また、一つは、「戻ってきた」真琴のその後がなかなか想像できない、という場合である。仮に彼女が戻ってきたとして、その後、どうなるであろうか。きっと、主人公と仲良く暮らし、その後普通に成長し、ごく普通の結婚をし、ごく普通に幸せな生活を送り、ごく普通に年老いていくという人生を送る、と考えたいところである──これを私がSSとして書いたらつまらんものしかできないだろうが──。しかし、そのごく普通の人生がなかなか想像できない、という方は少なくないらしい。実際、私も、彼女のその後の人生は具体的には想像しづらい。想像しづらいということは、「戻ってこなかった」方が適切ではないか、というわけである。
 だが、これは、理由にはならないのではないだろうか、と、最近はそう考えるようになった。そう考える理由は後述する。

 さて、私自身の考えの変遷についてここで示そう。沢渡真琴シナリオのプレイ直後しばらくは「戻ってきた」説を取っていた。だが、しばらく経って以降、ここ数年は、基本的にどちらでも良い、というのが一貫した考え方である。ただ、それがどちらに振れるのかについては、これまでに若干の変動があった。
 最初が「戻ってきた」説であったこともあり、最初の頃は、「戻ってきた」説により強く傾いていた。
 それが次第に「戻って来なかった」説に傾斜するようになった。これは、時間が経って冷静になり、「戻ってこなかった」方がシナリオとして美しいと考えるようになったのと、「戻ってきた」真琴のその後がなかなか想像できないことに気付いたという、上に挙げた二つの理由による。それ故に、基本的にどちらでも良い、と考えつつも、「戻って来なかった」説に傾倒するようになっていった。
 しかし、さらに時間が経ち、まずは、「戻ってきた」としてもシナリオとして美しいと考えるようになった。
 そしてさらに、彼女のその後の人生は想像しづらくても、「戻って来なかった」理由にはならないと考えるようになり、現在はほぼ中立に近い考え方に再び戻っている。

 では、その後の人生は想像しづらいことが「戻って来なかった」説の理由にならないと私が考えるのは何故か。
 簡単に言えば、想像しづらいことと、ありえないこととは等価ではないからである。つまり、その後が想像しづらい→戻ってきたはずがないとは、即言うことはできない。戻ってきたと考えても、その後が想像しづらい、と考える理由があるのだ。
 それは、彼女がどのような形で戻ってくるか、解釈の幅が大きすぎるということである。
 まずは、主人公と彼女の再会シーンを想像してみて欲しい。どこでどのようなシーンを想像したであろうか。明確に思い浮かべることはできる人は少なく、思い浮かべたとしても人によって、あるいは考えるたびにばらばらではないだろうか。
 また、還ってきた彼女はどうだろうか。彼女は自分の正体がキツネであると認識しているだろうか。人間になる前の記憶は持っているだろうか。主人公との日々は、ものみの丘の結婚式は覚えているだろうか。彼女の性格はどうだろうか、シナリオ序盤の天の邪鬼のままか、シナリオ終盤の角が取れた素直な性格か。
 少し考えただけでも、彼女がどのような形で還ってくるか、考える要素は山のようにあるのだ。
 つまり、彼女の帰還の形態には幅がありすぎる。そして、それによって、その後の生活も大きく振られることになる。それが、その後の人生を想像しづらいものにしている理由となっている。

 また、もう一つ、理由がある。
 それは彼女が妖狐、超常的な存在である──と一般的に解釈される──ということである。
 Kanonの他のヒロイン達は人間であるのに対し──生き霊や超能力者も混じっているが──、沢渡真琴のみは実際には人間ではない。それ故、シナリオ終了後、他のヒロイン達には普通に与えられる普通の人間としての人生は、どこまで行っても人間ではない彼女には与えがたい。そもそも、彼女の姿は仮のものである以上、例えば、歳を取らないと考えたとしても不思議ではあるまい。これは、その後の生活・その後の人生を考える上で大きなバイアス要素となる。

 帰還の形態に解釈の幅がありすぎること、超常的な存在であること、この二つの理由が、帰還後の彼女の人生を想像しがたいものにしているだけなのではないだろうか。
 この二つの要因を除けば、つまり、前提条件を完全に確定してしまいさえすれば、帰還後の彼女のその後に対する想像の困難さは、あゆや栞のそれとほとんど変わらないように私には思える。

 以上、長々と書いたが、「沢渡真琴は戻ってきたのか?」という問いに関する今の私の考えは、答を確定させることはできないし、その必要もない、という結論である。



 本項のまとめはさらに完結編として示す。

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